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高森明勅
2022.10.11 08:00皇統問題

立太子の礼と立皇嗣の礼における「おことば」の明確な違い

これまで、皇太子・皇太孫(直系の皇嗣)と
傍系の皇嗣の違いについて繰り返し述べて来た。

ところが迂闊なことに、天皇陛下の「立太子の礼」(平成3年2月23日)
での陛下ご自身のおことばと「立皇嗣の礼」(令和2年11月8日)での
秋篠宮殿下のおことばを自覚的に比較するのを、今まで怠っていた。

先日、私がプレジデントオンラインの連載で書いた
“秋篠宮殿下は即位を辞退されるお気持ちであろう”という記事
(4月29日午前8時公開、10月10日午後5時から
「2022編集部コレクション」として再掲載)を
読んでくれた大手新聞の記者から、
「2つの“おことば”を読み比べると、基調において違いが
あるように感じるのですが、感想を聴かせて下さい」
という取材を受けた。
そこで改めて読み比べてみると、確かに顕著明白な違いがあった。 

〇天皇陛下の立太子の礼におけるおことば
「立太子宣明の儀が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。
皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります」

〇秋篠宮殿下の立皇嗣の礼におけるおことば
「立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ多いことでございます。
皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」

これらの儀式は国事行為なので、
おことばの確定には内閣も関与したはずだが、
基本的にはご本人のお考えがベースになったと見てよいだろう。

特に、秋篠宮がおことばを練り上げられる際には、
必ず天皇陛下の立太子の礼でのおことばを参照されたはずである点を、
念頭におく必要がある(その前の上皇陛下の場合〔昭和27年11月10日〕は
儀式の組み立てがやや異なり、上皇陛下からのおことばは無かった)。

つまり表現の違いは、“意識して”変更されたと理解すべきだ。
それを前提に、さしあたり以下の諸点を指摘できる。

①まず、天皇陛下の場合は、立太子の礼は“天皇の国事行為”
として行われたので法的には上皇陛下が形式上の主体であったにも拘らず、
ご自身が皇太子であることを広く内外に宣明する儀式である事実を踏まえ、
言わば上皇陛下と“ご一体”の意識のもとに「…が行われ」と述べておられた。
ご自身も実質的な主体・主役というご自覚だ。

それ故に「身の引きしまる思い」へとダイレクトに繋がる。
天皇陛下の能動的・積極的なご姿勢が鮮やかに示されている。

これに対し、秋篠宮殿下の場合は明らかにスタンスが異なる。
「…をあげていただき」と言い方には、儀式の主体・主役は
名実共に天皇陛下お一方であり、ご自身はあくまでもそれを
受け入れる側に過ぎない、という控え目なお気持ちが表れている。
だから「畏れ多い」という表現に繋がる。
先の天皇陛下のおことばと比べて、受動的・消極的と言える。

②次に、儀式に際して「身の引きしまる思い」の有無は見逃せない違いだ。
天皇陛下の場合は、立太子の礼によってそれまでの皇太子という
お立場それ自体に変更はないものの、次代の天皇という“確定的”な
お立場であることが内外に明らかにされた事実の重みを、
真正面から受け止められていることが伝わる。

これに対して、秋篠宮殿下の場合はその表現が
“敢えて”削られており、儀式によってご本人のお気持ちに
大きな区切りがついたという点は、どこにも表現されていない。

これは、儀式の前も後も、その時点での“巡り合わせ”で
皇位継承順位が第1位というお立場であることに変わりはない
(次代の天皇であることが必ずしも確定されていないお立場から
確定的なお立場に変更される訳ではない)、
というご自覚に基づく変更だろう。 

③更に明確な違いは、天皇陛下のおことばでは
「皇太子としての責務の“重大さ”」とあった部分が
「皇嗣としての責務」へと、分かりやすい形で
トーンダウンしている点だ。
わざと「重大さ」が外されている。

この変更は、天皇陛下のおことばにあった「力を尽くして」という
大切な言葉が抜けている事実にも、そのまま繋がる
(重大さ→力を尽くして/重大さナシ→力を尽くしてナシ)。
これらから、秋篠宮殿下ご自身が直系の皇嗣である「皇太子」と
傍系の皇嗣との立場の“重み”の違いを、ハッキリと自覚して
おられることが分かる(もし同じ表現を遣うと、かえって「皇太子」
という立場の重みを損なうとのご配慮だろう)。

先の受動的・消極的なスタンスも、
そのご自覚によるものと見れば、整合的に理解できる。

④おことばの末尾も、天皇陛下の場合、明確に断言され、
言い切っておられる(…します!)のに対し、秋篠宮殿下の場合は
失礼ながら少し腰が引けた印象を与える(…したいと思います)。
これも、殿下ご自身のお気持ちが後ろ向きという話ではなく、
傍系の皇嗣というお立場の“非確定的”な性格を理解されて
おられるが故のニュアンスの相違だろう。

2つのおことばを比べると、秋篠宮殿下のお考えが
かなり率直に表明されていたことに、いささか驚きを感じる。

追記

読売新聞の連載「取材帳-令和の皇室-3回目 皇嗣秋篠宮さま」
(10月11日付夕刊)に私のコメント掲載。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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